FC2ブログ

【日本百名城#84番】 高知城

mini_11_kochi_20191120-417A2664-resize.jpg
【日本百名城#84番】
①高知城

さて、百名城シリーズ、どんどこいきましょう!
ぼやぼやしてたら、年が明けてしまいます^^
現存12天守でございます。

この光の入れ方は、いくつか応用できそうです^^
大いに参考になります!

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)にある日本の城。別名鷹城(たかじょう)。
江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿(なお、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみである。)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_12_kochi_20191120-417A2699-resize.jpg
②高知城

いきなり天守でございます。
ま、現存12天守ってことで
見に行ってるわけでございまして、
やはり、お城の象徴ともいうべき天守を
まずは、アップでございます^^



Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高知市のある高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川をそれぞれ外堀として利用されていた。
戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう/おおたかさやま-)[1]または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、土佐藩庁が置かれた。3層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_13_kochi_20191120-417A2706-resize.jpg
③高知城

お城の写真をと言いつつ、やはり、そこに、
観光客の姿を撮り入れたいものでございます。
全体に、観光客が少ないので、心配になったりしてます。

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
城全域は高知公園として無料で開放されているが、天守および本丸御殿(別名、懐徳館)への入館は有料となっている。城の周辺には高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっている。(県庁舎のみ実質的には公園内にある。)
また、城内には一豊と妻の千代(見性院)、板垣退助の銅像が立つ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_14_kochi_20191120-417A2735-resize.jpg
④高知城

天守と本丸御殿。
この角度が一番ポピュラーな撮影ポイントでしょうか^^

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
南北に千鳥破風、東西には唐破風をつけた安土桃山時代の様式である。最上階の高欄は、徳川家康の許可を得て造ったものといわれている。創建時のものは享保12年(1727年)に焼失し、延享4年(1747年)に焼失以前のものを忠実に再建されたものといわれており、高欄を設けるなどのやや古風な形式(復古型)をとっている。
独立式望楼型4重6階、1重目の屋根を腰庇として3重6階と数えられることもある。窓は突上窓と連子窓、天守台がなく本丸上に、直に礎石を敷き御殿に隣接して建てられており、このような本丸を最後の防衛拠点とする構えは慶長期の城にみられるものであるという[4]。
平面寸法は、初層と2層を総二階造りで8間×6間、3層と4層を4間四方とし、5層と最上層は3間四方である。高さは18.5m。国の重要文化財に指定されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_15_kochi_20191120-417A2729-resize.jpg
⑤高知城

本丸御殿を正面から。

ここから靴を脱いで入城する場所ですな^^
自販機やらPOPやら、省力化が図られています。





mini_16_kochi_20191120-417A2940-resize.jpg
⑥高知城

「黒鉄門」を写しこんでいます。





mini_17_kochi_20191120-417A2944-resize.jpg
⑦高知城

黒鉄門(手前は黒鉄門東南矢狭間塀)。
構造物は、いずれも、国の重要文化財でございます。




mini_18_kochi_20191120-417A2955-resize.jpg
⑧高知城

天守を縦方向の写真で。

これだけ江戸時代の遺構がたくさんあるんですから、
松江城に続いて国宝指定は、高知城でしょう、
とヲレは思います。



mini_19_shachi_20191120-417A2887-resize.jpg
⑨高知城

鯱。

そうか・・・、ヲレの過去の写真も、
いくつか載せる機会をもとう!と
あらためて思う次第でございます^^

☆撮影日:2019年11月20日(水)…高知県高知市
スポンサーサイト



【日本百名城#83番】 宇和島城

mini_9931_uwa_20191119-417A1410-resize.jpg
【日本百名城#83番】
①宇和島城

お城のシリーズに戻ります。
こじんまりとはしてますけど、
現存12天守でございます。

先の記事で三層構造の江戸城・富士見櫓を載せましたが、
こちらの三層構造の建物は、繰り返しますが、
りっぱな現存天守でございます。


mini_9932_uwa_20191119-417A1426-resize.jpg
②宇和島城

青空がいいですな^^

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている(1937年(昭和12年)指定)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



mini_9933_uwa_20191119-417A1432-resize.jpg
③宇和島城

適当に白い雲が入ってるのがええな・・・。

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宇和島城は、中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸、その北に藤兵衛丸、西側に代右衛門丸、藤兵衛丸の北に長門丸(二ノ丸とも)を中腹に配置し、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城で、東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある[1]。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


mini_9934_uwa_20191119-417A1437-resize.jpg
④宇和島城

残念ながら、ヲレは、宇和島城に行ったことはあるものの、
天守に入城してません・・・。
ま、それはええでしょう!


Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現在見られる、天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。五角形平面の縄張り「空角の経始(あきかくのなわ)」は四角形平面の城と錯覚させる高虎の設計で、現に幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って記された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


mini_9935_uwa_20191119-417A1399-resize.jpg
⑤宇和島城

やっぱ、城はサクラですな^^

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。宇和島城には「空角の経始」、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。[要出典]
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


mini_9936_uwa_20191119-417A1477-resize.jpg
⑥宇和島城

枯れ木も山の賑わいとはいうものの、
やっぱり、花が欲しいですな^^
といって、インチキ写真で桜を載せるのは
やっぱまずいな・・・。


Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
城を囲む五角形の堀は、高虎の後の大名にも代々受け継がれたが、現在は堀も海も埋め立てられている。明治以降は大半の建物が撤去され城郭は「城山公園」として整備された。建物は天守、大手門などが残されたが、太平洋戦争中の空襲により大手門を焼失して現在は、天守(重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣が現存する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


mini_9937_uwa_20191119-417A1404-resize.jpg
⑦宇和島城

それにしても、人がいないな・・・。

mini_9938_uwa_20191119-417A1395-resize.jpg
⑧宇和島城

観光客、少し発見!

mini_9939_uwa_20191119-417A1488-resize.jpg
⑨宇和島城

石垣の草花も、なかなか乙でございます。
石垣のメンテナンス上では問題もありますが、
春が来れば、花が咲きそうな石垣の草花も
なかなかええ感じでございます^^

☆撮影日:2019年11月19日(火)…愛媛県宇和島市

【日本百名城#21】 江戸城・富士見櫓 ほか

mini_21_hujimi_20191125_122356.jpg
【日本百名城#21】
①江戸城・富士見櫓

さて、大嘗祭の建物を拝観いたしまして、
あわせて、江戸城の遺構も見学いたしました。

皇居内から見ました富士見櫓でございます。
普段は見れない角度だそうです・・・。
そういえば、撮影初めてかも・・。

mini_22_hujimi_20191125_122447.jpg
②江戸城・富士見櫓

あらためて思いますのは、
富士見櫓、三層構造でございまして、
他の地方大名のお城の天守よりも立派に見えます。

そりゃあそうですな、徳川様の居城なんですから、
田舎の現存12天守が束になっても敵いませんでしょう!


mini_23_hirakawabori_20191125_125217.jpg
③江戸城・平川濠

とはいえ、本物の天守は台座のみですし、
本日非公開でしたので、そうそうに、
平川門から退出いたしました。

このあたり複雑にお濠が2重構造でして、
門の手前は、平川濠でございます。


mini_24_hirakawa_20191125_125207.jpg
④江戸城・平川門

この日、一方通行でございまして、
平川門は、出口専用(こりゃ当分続きそう)。
お客様も皆さんあっち向きでございます。


mini_25_hirakawa_20191125_125405.jpg
⑤江戸城・大手濠

平川門を出ますと、大手濠。
カモがたくさん泳いでいます。


mini_26_mainiti_20191125_125428.jpg
⑥毎日新聞社

お濠の向こう岸は、毎日新聞社。
お濠端では、結婚式の写真を撮るカップルも。


mini_27_hirakawa_20191125_130125.jpg
⑦江戸城・平川門

毎日新聞社のビル、
平日のお昼時は、屋上に登れるとの情報を戴き、
屋上から、皇居方面を拝観。
少し逆光ですけど、いい感じに
皇居の森の上が霞みがかってます。


mini_28_kindai_20191125_130630.jpg
⑧千鳥ヶ淵方面

360度ってほどではないにしても、
千鳥ヶ淵方面には、
東京国立近代美術館も見えます。


mini_29_budoukan_20191125_130554.jpg
⑨九段下方面

少し北側を見れば、北の丸あたりに、
武道館の屋根も見えます。
おおお、屋根の修復工事もやってます。
そりゃ、前回の東京五輪で使ってたんですから、
改修も必要ですよね・・・。

☆撮影日:2019年11月25日(月)…東京都千代田区

【日本百名城#82】大洲城

mini_21_ozu_20191119-417A1172-resize.jpg
【日本百名城#82】
①大洲城

次男の撮った大洲城でございます。
パッと見た感じ、100名城のスタンプ帳の表紙絵みたいです。
思わず見返しましたが、スタンプ帳は、松本城ってことで、
つまり、黒っぽい感じは、松本城に似てるってことになります。




mini_22_ozu_20191119-417A1192-resize.jpg
②大洲城

やっぱし晴れてる中で撮るのは、ええ感じですね^^w
お城の撮影は、青空を選びたいんですけど、
なかなか旅行中、そんな贅沢は言えません・・・。

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



mini_23_ozu_20191119-417A1228-resize.jpg
③大洲城

写真の左側には、ふもとの里の風景もちらっと見えます。


Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。伊予宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_24_ozu_20191119-417A1296-resize.jpg
④大洲城

7年前のヲレの旅行では、手前の看板のところで
記念撮影をした想い出があります。




mini_25_ozu_20191119-417A1310-resize.jpg
⑤大洲城

石垣を入れた写真ですな。




mini_26_ozu_20191119-417A1314-resize.jpg
⑥大洲城

さらに石垣をたくさん入れた写真。
りっぱな要塞でございます。




mini_27_ozu_DSCF7840.jpg
⑦大洲城

7~9枚目の写真は、ヲレの7年前の写真です。
主に肱川を入れた写真です。
天然のお堀です。




mini_28_ozu_DSCF7831.jpg
⑧大洲城

肱川、霧でも有名ですが、
最近では、集中豪雨で被害を受けた地域でもあります。
河川の様子も大きく変わったんでしょうな・・・。




mini_29_ozu_DSCF7838.jpg
⑨大洲城

肱川の川面に浮かぶような大洲城の姿でございます。

☆撮影日:2019年11月19日(火)・・・愛媛県大洲市

松山城

mini_11_matuyama_20191119-417A0818-resize.jpg
①松山城 

日本百名城でございます。
現存12天守でございます。
よしあきくんでございます。

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名 金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため「伊予松山城」と呼ばれることもあるが、一般的に「松山城」は本城を指すことが多い[注釈 2]。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_12_matu_20191119-417A0830-resize.jpg
②松山城 

日本三大連立式平山城のひとつでございます。内訳は、
姫路城(兵庫県姫路市)、松山城(愛媛県松山市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)。
なるほど、そういう切り口もあるのか・・・。

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。1933年ごろまでは、本丸部分には40棟の建造物が現存していたが、1949年までに19棟が火災により失われ、現存建築は21棟にまで減少した。建造物の現存数は二条城(京都府)の28棟に次ぐものである。

幕末に再建された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、深さ44メートルにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_13_matu_20191119-417A0860-resize.jpg
③松山城 

Wikipedia先生によれば、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山頂に本丸、南西麓に二之丸、続いて三之丸。北麓には北曲輪、南東麓に東曲輪がある。三之丸は比高6メートルほどの土塁で囲み、北と東に石垣造の虎口を開く。本丸から二之丸にかけて登り石垣を築いて囲み、丘陵斜面からの大手城道への侵入を防ぐ構造としている。山頂の本丸北部には本壇という天守曲輪を持ち、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結し連立式天守をなしている。松山城の中枢は二の丸で、藩主の生活の場である御殿や庭園、茶室などがあった。三の丸には身分の高い家来の屋敷が建ち並んでいた。本丸は主に倉庫として使われていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




mini_14_matu_20191119-417A0871-resize.jpg
④松山城


mini_15_matu_20191119-417A0959-resize.jpg
⑤松山城 

天守からの眺め、
サクラの紅葉は少しインチキでございます^^w




mini_16_matu_20191119-417A0893-resize.jpg
⑥松山城 

天守からの眺め、
サクラの紅葉は少しインチキでございます^^w




mini_17_matu_20191119-417A0988-resize.jpg
⑦松山城 




mini_18_matu_20191119-417A1011-resize.jpg
⑧松山城 

サクラの紅葉は少しインチキでございます^^w




mini_19_matu_20191119-417A1033-resize.jpg
⑨松山城 

サクラの紅葉は少しインチキでございます^^w

☆撮影日:2019年11月19日(火)…愛媛県松山市
プロフィール

kurozowosan

Author:kurozowosan
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
くろさんカウンタ
現在のアクセス
現在の閲覧者数:
時計
リラックマ時計
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード