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【日本百名城#82】大洲城

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【日本百名城#82】
①大洲城

次男の撮った大洲城でございます。
パッと見た感じ、100名城のスタンプ帳の表紙絵みたいです。
思わず見返しましたが、スタンプ帳は、松本城ってことで、
つまり、黒っぽい感じは、松本城に似てるってことになります。




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②大洲城

やっぱし晴れてる中で撮るのは、ええ感じですね^^w
お城の撮影は、青空を選びたいんですけど、
なかなか旅行中、そんな贅沢は言えません・・・。

Wikipedia先生によれば、
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大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
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③大洲城

写真の左側には、ふもとの里の風景もちらっと見えます。


Wikipedia先生によれば、
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大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。伊予宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
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④大洲城

7年前のヲレの旅行では、手前の看板のところで
記念撮影をした想い出があります。




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⑤大洲城

石垣を入れた写真ですな。




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⑥大洲城

さらに石垣をたくさん入れた写真。
りっぱな要塞でございます。




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⑦大洲城

7~9枚目の写真は、ヲレの7年前の写真です。
主に肱川を入れた写真です。
天然のお堀です。




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⑧大洲城

肱川、霧でも有名ですが、
最近では、集中豪雨で被害を受けた地域でもあります。
河川の様子も大きく変わったんでしょうな・・・。




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⑨大洲城

肱川の川面に浮かぶような大洲城の姿でございます。

☆撮影日:2019年11月19日(火)・・・愛媛県大洲市
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